Mikan_Starrの日記

主に自分の好きなものに関してぼやくブログです。特にビートルズ、文学関係が多いです。

The Beatles

こんばんわ。

 

これからビートルズ についても書いたりする上で、改めて自分がなぜそんなにビートルズが好きなのかを考えてみたいと思う。

 

僕はとにかくビートルズが大好きだ。彼らの存在は少なからず、自分の人生における思考や行動に影響を与えていると思う。今のところ人生で一番夢中になったものと言っても過言ではないと思う。

 

ではなぜそんなに自分はビートルズが好きなのだろうか。月並みなことを言ってしまうとやはり言葉にするのは大変そうだ。誰でもそうだと思うが、自分が本当に好きだったり夢中なものに関してその理由を聞かれたとしても、言葉にするのは難しいはずだ。そして、言葉にしたくないという気持ちも同時にあるかもしれない。恋人や夫婦とかと似ているかも。「どこが好きなの?」って聞かれたとして、あまりにも簡単に理由がぽんぽん出てくると、なんだかチープな気がしてしまうし、逆に「言葉にできない。」って言うとなんだか逃げてるみたいに思われたり。とにかく難しい。でも頑張ろう。

 

僕がビートルズを人生で初めて聴いたのはいつだろう。正直思い出せないけど、父親の家族が昔イギリスに住んでいた関係もあって、ビートルズのCDは家にあったのを覚えている。だから車とか家で聴いたのがきっと初めてなんだと思う。そこから段々好きなものとして頭にはあったけれど、本格的にハマったのはきっと高校生ぐらいだったと思う。当時僕はイギリスに留学をして、その関係でイギリスのことを調べたりする中で、ビートルズのについてもより深く知っていくようになったのだ。それからはとにかくビートルズ ばかりだ。聴かない日はないし、ビートルズに関する本もたくさん読んだ。他のアーティストへの関心もほとんどがビートルズから派生していっている。

 

前置きが長くなったが、話を戻すと、なぜ僕はこんなにビートルズ に夢中になったのか。

 

もちろん音楽自体最高だ。どんな気分でも聴きやすい。元気もりもりな時でも、仕事で疲れてる時でも、ビートルズの曲っていつでも聴ける気がする。けっこうな音楽ってその時の気分に左右されると思うのだが、ビートルズの曲はいい意味でその要素が少ない気がする。だけど、僕自身は音楽はやっていないので、正直彼らの音の革新性についてそんなに偉そうには語れない。「この音がすごいんだよ!」とかなんとなく気持ちではわかるけど、技術的なことは正直よくわかりません。

 

僕としては、どちらかというと曲の歌詞に目がいってしまうほうだ。彼らの書く歌詞は本当に素晴らしいと思う。よく言われていることだが、とにかくシンプル。でもシンプルであるがゆえに深い。語りすぎないから逆に深みを増す。そんな感じだ。学校の英語教材で使われたりするのも、彼らの書く歌詞がいかにシンプルな言葉で書かれているかを物語っていると思う。そして、何より老若男女誰にでも聴かせることができる。これってロックバンドでは意外とすごいと思う。あるインタビューでポール・マッカートニーが冗談まじりに、『ビートルズは決して「君たちドラッグをやろうぜ。」みたいな曲を一曲も歌わなかった。これはすごい誇れることだ。』と言っていたが、まあそういうことだ。ロックバンドでありながら、ここまで多くの人に受け入れられるバンドってそうそういない。

 

だが、別に僕はビートルズが優等生バンドだから好きなわけではない。そして決して彼らが優等生だとも思っていない。彼らだってばりばりドラッグやっていたし、よく聴くと際どい曲だってけっこうある。それでもなお、彼らの曲はここまで受け入れられている。それは、彼らがもはや「音楽」や「ロック」という垣根を超えて、「ビートルズ 」というジャンルを確立しているからだと思う。比べるのもあれだが、日本で言うとサザンオールスターズみたいな感じだろうか。桑田佳祐であれば、公共の生放送の電波でマンピーと歌ったって別に良いのだ。この誰にでも受け入れられるのと同時に尖っていられるというのも、ビートルズの大きな魅力の一つだと思う。

 

そして、ビートルズの魅力は音楽以外の部分にもある。それは彼らの人生自体だ。それぞれに個性や才能があり、彼らの人生について調べるだけで本当におもしろい。こんなメンバーが一つのバンドに集まったのはまさに奇跡だ。彼らについて知ろうとすると、当時のイギリスの文化や世界情勢、音楽業界、そういったところにまでどんどんと話が派生していく。そういった音楽以外の探究心をくすぐらせてくる部分も、僕がビートルズ に決して飽きない理由の一つだ。

 

話がだいぶ長くなってしまった。やはり全部話そうとする着地点がなかなか見つからなくなる。

 

ただ、僕がビートルズを好きな理由を一言で言わなければならないとしたら、それは、

 

「どんな感情にも寄り添う曲がそこにはある。」

 

ということになるだろう。

 

ビートルズの公式に発表されている曲は全部で213曲だが、そこには人間の喜怒哀楽が全て詰め込まれていると思う。そこには常に自分に寄り添ってくれる曲がある。自分の一番好きな曲がその日によって変わったりしてしまうのも、きっとそんなビートルズの楽曲のパワーがなせるわざだろう。

 

ぜひみなさんにもそれぞれにとってのそんな曲を見つけてほしいと思う。

 

長くなってしまったが、とにかくビートルズは最高だ。

 

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音楽と文学

こんばんは。

 

最近またブログで一体何を書けば良いのかと悩んでいた。大した数も書いていないのに、悩みばかり先行する。

 

とにかく今まではそのときに頭にふって浮かんだことや、その日にあったできごとなどについて書いていたが、そうするとどうしても書けることが限られてきて、思い浮かばないときは何も思い浮かばない。

 

ということで、少し趣旨を変えて、もう少しテーマを絞って書こうと思う。

 

そう考えたときに自分が好きなものってなんだろうって考えると、やっぱり一番に来るのはビートルズ 。これは譲れない。そこから派生して広く考えて音楽。そしてもう一つが文学。

 

なので、「音楽(特にビートルズ )」と「文学」に基本的には焦点を置いて書いていこうと思う。

 

「こんなときにはこの曲おすすめ!」とか、「こんな気分のときはこの小説!」みたいなそんなイメージかな。

 

次回からはそんなかたちで進めていこうと思う。

I am not a city boy.

昨日野暮用があって久しぶりに渋谷に行った。

もちろん Stay Home 習慣ということもあるし、外出自粛中なのでほんの少しだったが。

 

渋谷はよく行っていたのだが、外出自粛要請が出てからは初めてじゃないかなと思う。

 

たしかにとてつもなく人が少なかった。お店も開いてないし、それはそうかなと思うんだけど、土曜日であんなにすっからかんの渋谷を見るのは当たり前だが初めてだ。

 

僕は意外と渋谷が好きだ。正直自分でも不思議だと思う。基本的にはそんなに人が多いところは好きではない。うるさいし汚いし、できれば都会よりは田舎に住みたい派だ。だけど、なぜか渋谷だけは嫌いじゃない。むしろけっこう落ち着く。

 

前の職場が渋谷だったこともあり、少し慣れているというのもあるかもしれない。でもそれ以上に、渋谷の様々な人が入り混じっているカオス感が好きなんだと思う。渋谷に行くと様々なタイプの人を見かける。

 

サラリーマン、キャッチ、路上ライブをしている人、援交っぽいカップル、学生、ずっと独り言を言っている謎の人、などなど。

 

渋谷に行くと落ち着くのは、きっとこういった色々な人が入り乱れていて、かつそれを受け入れる渋谷の受容力が一番の理由だと思う。

 

「なんだか自分って場違いじゃないかな。」とか思うことがよくある。例えば、銀座とか六本木とか。でも渋谷は、ここは誰がいても良いんだよ。そんなメッセージを常に発信し続けているような気が僕にはするのだ。

 

そんなことを考えながら今の渋谷を見ているとやっぱり寂しい。普段なら、「人多すぎだよ。」と悪態をつきたくなることも多々あるが、いざそれがなくなるとやっぱり寂しいものなんだなとつくづく思った。人が周りにちゃんといるっていうことが無意識のうちに当たり前になっていたことを痛感させられた。

 

早く、またあのうるさくて汚い、でもエネルギッシュな渋谷に戻ってほしいと心から願うばかりだ。

アートってなんだろう。

僕はゴッホが好きだ。

 

僕は小さい頃からアーティストというものにとても憧れている。もちろんアーティストといっても色々いるわけだが、僕の彼らのイメージは「型破りで普通じゃない人」という感じだ。とにかく普通じゃない人になりたいとずっと思っていたし、今でも思っている。まあそう思ってしまっている時点で普通の人なのかもしれないけど。

 

だから、いわゆるアート的なものには興味津々で、例えば芸大に通っている人達なんて僕にしたらヒーローだ。もちろんみんながみんな変わっているというのは偏見かもしれないが、とにかく僕にとってはそうなのだ。

 

だから、やたら美術展やアート展とかに顔を出して知識だけは増えてきている。

 

本当はコロナがなければ、今頃ナショナルギャラリー展が上野で開催されていたはずだ。その作品の中には、かの有名なゴッホの『ひまわり』もある。

 

正直絵の良し悪しなんて僕にはわからない。実は中学生までというちゃちな期間油絵を習っていたこともあるのだが、絵は正直全く上手く描けない。だから基本的には観る専門だ。

 

きっと共感してくれる人もいると思うが、絵を観に行ったりする理由は、自分の場合はもちろん純粋に綺麗な絵を観たいというのもあるが、それ以上にそうしたものに触れると、なんだか自分が高尚な人物になった気がするっていうのが潜在的にはあるからだと思っている。「俺は作者が何が言いたかったかわかるぜ。」みたいなそんな感じ。何かすごい人生の高尚な部分に思いを巡らせているようなそんな気分になるのだ。

 

でも、きっと本当は何もわかってないんだと思う。元ZOZOの前澤さんの影響で話題になったバスキア展も行ったが、正直バスキアが何を伝えたかったのか僕にはさっぱりだった。でも、きっと何かものすごい深淵な意味が隠されているに違いないって思わせる力はたしかにすごいある気がする。

 

色々と前置きが長くなったが、僕はゴッホの繊細さと凶暴性みたいなものを併せ持っているところが好きだ。ゴッホが自分の耳を切って好きな人に送ったというのは有名な話だが、それに代表されるように、ゴッホにはいつも狂人のイメージが付き纏う。たしかに多少狂ってたとは思うが、彼の描く絵は大体ポジティブなイメージを醸し出していると僕は思う。

 

最初の話に戻ると、とにかく無我無中で自分のやりたいことをまるで宿命かのようにやり続ける人。アーティスト的な狂気もあるけど、それでいてとても繊細。そんなところが僕がゴッホの好きなところだ。人生にも作品にもここまで惹かれた画家はやっぱりゴッホが僕にとっては一番だ。

 

こんな壮絶な人生送れたら生きる価値あるだろうなと安易に思ってしまうけど、もちろん彼は生きている間は大体の他の有名な画家の例に漏れず、ほとんど評価されなかった。だから本人が幸せだったかどうかは正直わからない。そう考えると、アーティストにつく一番の付加価値って「死」なのだろうか。そう考えるとちょっぴり切ない。

 

一つ言えることは、こうやって色々分析をして付加価値をつける側は、決してそれを生み出した側には勝てないというのが僕の持論だ。もちろんどっちもあるから意味があるんだけど、やっぱり僕は何か生み出す側になりたいなとそんなことを思う今日この頃。

 

せっかくなので、僕が一番好きなゴッホの絵を載せておきます。

 

タイトルは『種をまく人』

 

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Missing Sauna

僕はサウナが好きだ。

週に1-2回は行くようにしていた。

もちろん毎日行くようなガチサウナーからしたらまだまだかもしれないけど、自分的にはなかなか行っていた方だなと思う。

 

あのサウナで体感するなんとも言えない疲労回復感と高揚感。いわゆる「ととのう」という状態を体感すると本当に病みつきになる。身体的にもそうだし、頭の中もスッキリして、「よし、明日も頑張るか。」と思えるのだ。

 

だが、そんなサウナもコロナの脅威からはやはり逃れられなかったようだ。あまりサウナでクラスターも発生したと聞かないし、大丈夫かななんて安易に思っていたが、さすがに緊急事態宣言もでて、続々とサウナも営業停止している。どうやら銭湯は良くてもサウナはだめらしい。まあたしかにお風呂は生活に必要だし、サウナなんて冷静に考えて、クラスターの宝庫だろう。

 

というわけで、ここしばらくはサウナに行けていない。これがかなり苦しい。やはり習慣的になっているものは、失った時のダメージがかなり大きいらしい。タバコやお酒とある意味同じだ。しかも、やはりコロナの影響もあり、仕事でもプライベートでもストレスが溜まりやすい時期だと思う。そんなときこそサウナが必要なのに行けない。辛い。だがしょうがないというのもわかる。

 

でも、もし今でもサウナが開いていたら、きっとサウナーは気にせず通うんだろうなと思う。サウナの熱気がコロナを殺してくれる。とか、ととのえば大丈夫。とかきっと言うんだろうなー。正直自分も言ってしまいそうだ。

 

話は変わるが、湘南がこんな状況でもかなり週末混んでいるらしい。僕も湘南方面出身なので想像はできる。サーファーはこんなときでも波に乗りたいのだろう。密閉じゃないから大丈夫。とか、波がコロナもさらっていってくれるぜ!とか言うのかなー。

 

もちろんこんな状況でこれは良くないと思う。ヤフコメとか見ててもみんなかなり批判的だ。たしかにこういう人たちがいるからなかなか収束しないっていうのもあるんだろう。だけど、すごく不謹慎だし、批判も覚悟で言うと、僕はけっこうこういうノリの人たちは好きだ。こういう人たちがいるから世の中楽しいし、こういう人たちがいたって良いと思う。すごく偉そうだけど、きっと僕も究極的にはそっち側の人間だ。

 

サウナで目を瞑ってガチで迷走しているおじさんや、めちゃくちゃ笑顔で波に乗っている人たちをみると、この人きっと本当にコロナにかからないんじゃないかって思う。というかかかっても気付かなそう。

 

だけど、もう一度念の為言うが、きっと今は我慢の時なのだ。やっぱりここは我慢しないといつまで経っても状況は変わらない。

 

いつかコロナが終息して、自由に外に出れるようになったとき、そのときに入るサウナ室の熱気、波の上の高揚感はきっと何事にも変えがたい快感で、それこそもうそれなしでは生きられない身体になるだろう。

 

僕は家で便意を感じるとわざとぎりぎりまで我慢することがある。もちろん夏場のディズニーランドのようにいつトイレが空いているかもわからないような状況では、そんな悠長なことは言っていられない。

 

ぎりぎりまで我慢して出したときの快感はなかなかに何物にも代え難いものだ。

 

きっとそういうことだ。

英国的バンド代表

最近、England is Mine という映画を観た。元々映画館で観たかったのだが、タイミングが合わず結局DVDで観ることになった。

 

この映画は、イギリスの80年代を代表するバンド The Smiths のフロントマンであるモリッシーを主人公にした話で、彼が The Smith を結成する直前までを描いた作品だ。

 

僕は The Smiths が大好きだ。すごく抽象的な言い方だけど、とてもイギリス的なバンドだと思っている。それはなぜかと言うと、僕の意見としては、音楽ももちろんそうなんだけど、やっぱりモリッシーが書く歌詞が一番の理由だ。もともと物書きを少ししていたっていうものあると思うのだが、彼の書く歌詞はとても詩的で皮肉っぽい。そこがとにかくイギリスっぽい。アメリカの音楽とかには絶対無い雰囲気だなと思う。もちろんアメリカの音楽を否定しているわけではなくて。国外ではあんまりヒットしなかったっていうのも、もしかしたらその雰囲気の裏付けの理由の一つになるかもしれない。

 

僕が The Smiths にハマったのは、実はそんなに昔じゃなくて大学院生の頃だ。当時のイギリス詩の先生が熱烈な The Smiths のファンだった。その人はイギリス人でとにかくイケメンでお洒落でピアスなんかしちゃったりしてむちゃくちゃかっこいい男性の講師だった。研究室の真ん中には The Smiths のレコードが飾ってあって、イギリス詩について熱弁する姿を当時僕はめちゃくちゃかっこいいなと羨望の眼差しで見ていた。

 

でも実はこの方とても悲しい過去があって、結婚してすぐに奥さんを病気で若くして亡くしていたのだ。本当に結婚してすぐに余命宣告があったらしく、当時は本当に人生が真っ暗になったらしい。それが原因でアルコール中毒になってしまって、ほとんど自暴自棄の生活を送っていたんだけど、新しい素敵な女性に出会って、その人に支えられて復活してなんとか今の状態まできたのだ。それが今の奥さん。本人も亡くした奥さんに捧げた詩集も出したりしていて、とにかく講師として本当に素晴らしい人で、仲良くなってこういう話を色々としてくれた。

 

その中で、いかに詩が自分を救ってくれたかや、今回の話に出ている The Smiths の話も出てきて、僕も興味を持ち始めて、それからハマったという次第だ。

 

もちろんモリッシーと友達じゃないので、実際の彼がどういう人間かは知らないけど、本や話から見たり聞いたりする情報や、彼が書いている詩を見ると、とてもセンシティブな人間なんだなと思う。映画もどこまで本当かはわからないけど、だいぶ変わった若者だったようだ。とにかく世の中を斜に構えて見ているというか。

 

ここで僕の好きな The Smiths の歌詞を一つ引用

 

And if a double-decker bus crashes into us
To die by your side is such a heavenly way to die
And if a ten-tonne truck kills the both of us
To die by your side
Well, the pleasure, the privilege is mine
もし二階建てバスが突っ込んで来ても
君と一緒に死ねるならそれはこの上ない死に方
もし10トントラックにひき殺されても
君のそばで死ねるなら
それは本望、光栄な事だよ
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

これは、The Smiths で一番有名といっても過言ではない There is a light that never goes out という曲からの引用だ。歌詞の内容もそうだが、heavenly way to die とか privilege is mine の言葉選びとか、破滅的なんだけどなんだか美しいというか。とにかくキュンとなる。

 

The Smiths の曲の共通点は、けっこう明るいメロディーにのせながら、けっこう深刻な悲しいことや過激なことを歌うことだ。

 

そんな The Smiths の魅力が詰まった僕の大好きな二曲を紹介したいと思う。

 

一曲目は  Girlfriend In A Coma という曲。日本語にすると、『昏睡状態の彼女』。昏睡状態に陥っていて、もうすぐ別れが近づいているという深刻な歌なんだけど、なぜかメロディーは陽気。

 

二曲目は Panic だ。ディスコのDJがつまらない曲ばっかりかけるから、ディスコを燃やしてDJを吊し上げろと言うけっこう過激な曲。だけどやっぱりメロディーは明るい。

 

最後に、いろいろと話をしたが、なんで The Smiths が好きかをまとめると、さっきも述べたが、やっぱりどこか斜に構えているところなのかな。僕もよく「お前、斜に構えて世の中見てるよな。」と言われることがあった。自分ではそんなつもりないんだけど、でも少し周りと距離を置いて、ちょっと世の中を傍観しているような偉そうな態度があったのかな。

 

ちなみに、The Smiths の曲はよく映画とかに使われているのだが、ほぼほぼ決まって The Smiths を愛聴しているキャラクターって、いわゆる「こじらせているやつ」が多いのは気のせいだろうか。

 

いずれにせよ、The Smiths の曲を聴いていると、「世の中を斜に構えて見ている代表」みたいな人が歌っている曲が、ここまで多くの人の心に響いていることに気付き、斜に構えて世の中を見ることで見える美しい景色もあるのだなと勇気をもらえるのである。

 


The Smiths - Girlfriend In A Coma (Official Music Video)

 


The Smiths - Panic (Official Music Video)

 

 

FF7 リメイク(ネタバレあり)

最近ゲームといえば、もっぱら手軽にできるスマホのゲームか、やるとしてもウイイレぐらいのことが多かった。仕事もあり昔みたいな時間を作ることはできないので、腰を据えてゲームをするってなかなかできない。

 

そんな僕だが、久しぶりにゲームを買った。話題の『ファイナルファンタジー7 リメイク』である。そしてもう早速クリアもした。

 

オリジナルが出た時は、僕は小学4年生だったので、ドンピシャ世代というにはちょっと若いかもしれないが、それでもリアルタイムにプレイしたといっても良いと思う。

 

僕はFFはほとんどやったが、特にFF7がナンバー1と思っているわけではない。それでもストーリーは記憶に残っているし(若い頃の記憶ってなんでこんなに鮮明なんだろう)、懐かしさもあり結局買ってしまった。

 

大人気ゲームのリメイクなので、賛否両論あるのは当たり前だと思うが、自分は終盤まで懐かしさに対する補正もあり、新たに生まれ変わった世界にかなり感動した。だが、最後の最後でその感動ががらっとシラけてしまった。

 

もちろん、まだ続編の内容も知らないので、この時点で批判をしたりするのはどうかと思うが、結果的に言うと、最後の最後であのエアリスが生存する可能性を残したのである。

 

エアリスといえば、物語の中で衝撃的な死を迎える超重要人気キャラである。当時から、このエアリスの死に対して、批判の問い合わせや、バグを使って生き残らせる方法が見つかったりなど、かなり物議を醸したらしい。

 

つまり、この新生FF7は、そんな往年のファンの願いを叶える?かたちをとるのかもしれない。先ほども言ったようにあくまで想像だけど。

 

でもそれってどんなんだろう?って僕は個人的に思った。

 

FF7の大きな主題の一つは「死」だと思っている。そして、FF7の世界では、死んだ人は皆星に還る、だから悲しむ必要はないっていうメッセージもある。もちろんゲームに必ずしも教訓がある必要はないと思うけど、エアリスの死があったからこそ、このゲームはここまで評価されているんだと思う。

 

兎にも角にも、最近はパラレルワールドっていう概念が流行っているのかな。エアリスが死ぬ世界と死なない世界の二つの世界の可能性を新生FF7では示している。だけど、現実世界で、大切な人を失った時に「別の世界で生きてるから心配しないで。」って言われても納得できないと思う。

 

話がずれてしまったが、最初からそういう世界観の物語なら良いんだけど、FF7はそうじゃなかったはず。だから個人的にはそういった物語の主旨を変更しそうな雰囲気はちょっと残念だった。ほとんどの人は、きっとただ新しい技術でまったく同じ物語を見たかったんじゃないかな。

 

ということで、ゲーム自体は少し望んでいたものと違ったが、子ども時代のワクワクを思い出させてくれる素敵な作品であることには間違いないと思う。